ブログ:ココログ

ムコ多糖症支援ネットワーク

  • ムコ多糖症の理解とご支援を! ここをクリックして下さい!

2008年7月20日 (日)

いわき一泊旅行

行楽地や道路が混まない夏休み前に旅行でもと思い立ち、海の幸を食べられる「いわき市」の海辺の小さな町「久之浜(ひさのはま)」の「高木屋旅館」に一泊旅行して来ました。道すがら様子等もまじえ記事にしました。

行きの昼食は蕎麦にしようと、前日にネットで検索した所、こだわりの江戸流手打ちそばを食べさせる日立市の「傳六」と言う店が載っていたので、その店に寄り十割ソバを食べました。

食べ終わって「傳六」の主人と話しをしていて、これから久之浜の「高木屋旅館」に泊まると話しましたら、「傳六」の主人は昔、「久之浜」に住んでいて「高木屋旅館」は近所で良く知っていて、「高木屋旅館」のお祖母さんに昔の屋号を言えばわかりますよと、思わぬ話の展開になりました。「傳六」のご夫婦と四方山話をひとしきりして旨いそばを食べたお礼を言って店を出ました。

傳六http://www.geocities.co.jp/teutisobadenroku/index.html

日立市から国道6号を北に下り、童謡で有名な野口雨情の生家の有る北茨城市に向かう。
野口雨情の生家を見学
Ujyo1

生家の近くに有る野口雨情記念館
Ujyo2

野口雨情の童謡の歌詞を想い出しながら、小名浜経由で美空ひばりの「みだれ髪」で有名になったな「塩屋埼灯台」を目指しました。
いわき市の沿岸は、北から久之浜・四ツ倉・薄磯・豊間・永崎・小浜勿来の順に白砂青松の美しい海浜が連なっていて「いわき七浜」と言われます。その中心が塩屋埼灯台になります。
この灯台の灯台長の奥さん、田中きよさんの体験談を元にして「喜びも悲しみも幾歳月」という映画が作られました。

美空ひばりの遺影碑の有る所から塩屋崎灯台を望む
Shio1

灯台の上から北側の薄磯海岸を望む

Shio2

灯台の上から南側の
豊間、合磯(かっそ)海岸を望む
Shio3

塩屋埼を後に海岸線を北上して四倉町を通り波立トンネルを抜けて、直ぐ左の所にある波立(はったち)薬師と右の海側の弁天島と弁天橋を休憩を兼ねて見学、ここから久之浜港のある殿上崎まで、約3km広がっているのが久之浜・波立海岸となっています。

波立薬師(はったちやくし)
Hatachi1

弁天島と弁天橋

Hatachi2

久之浜の高木屋旅館に到着少し疲れを癒して浜辺と町を散策
Hisa1

試に、久之浜の波の音を録音して見ました。


「高木屋旅館」http://takagiya.net/は素朴な宿でした。

風呂に入り汗を流して、海の幸の夕食に舌鼓を打ちました。またこの宿はワインも売りなので懐と料理を考えて、アルゼンチンのトソ・ソーヴィニオン・ブランを飲みました。
料理とのマリアージュは良かったと思いますが少々飲み過ぎたきらいがあったかな?

次の日は「国宝願成寺白水阿弥陀堂(しらみずあみだどう)」に参拝しました。
阿弥陀堂は、平安時代末期、岩城の国主岩城則道夫人・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立されました。
阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれて、北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、平安時代末期に盛んだった浄土式庭園となっています。

Shira1

Shira2

Shira3

池には中尊寺ハス(藤原氏4代目泰衡の首級桶から800年前の種子を採取。この種子の開花に成功し、中尊寺がその株を譲り受けて育てたハス、20014月に中尊寺から株分けされたもの)が丁度咲き始めたばかりです。
Shira4

昨日は北茨城の野口雨情関連の施設に寄って来たので、いわき湯本の野口雨情記念「童謡館」にも寄りました。野口雨情は童謡の詩で思い描く人柄と違って、多情な人で異母兄弟の仲はしっくりいっていない様な話でした。
野口雨情記念「童謡館」
Doyo1

立ち寄り湯の「さはこの湯」でひと風呂浴びて、気分を一新して小名浜に向かいました。
はさはこの湯
Sahako

小名浜で昼食と買い物をして夕方帰宅しました。天候にも恵まれ、思いがけない事もあり楽しい旅行が出来ました。
忘れていましたが「高木屋旅館」のお祖母さんと「傳六」さんの事を話す事が出来ました。

2008年7月 9日 (水)

KOSS THE PLUG改造

携帯音楽プレーヤー用に使っていたイヤホーンKOSS THE PLUGが断線して使えなくなり、新しい物を購入して改造をしたので紹介します。(ギボシ改造等ネットで改造方法が紹介されていたのを参考に私流にアレンジしました。)

[材料]
ニチフ端子工業の「リングスリーブE小」(1055円程度)、「絶縁キャップTIC5.5黒」(50140円程度):(ホームセンター等の配線材料売場に有る裸圧着スリーブ)
ソニー・スペアーイヤーピースEP-EX1
ボンド・ウルトラ多用途SUクリヤー
楊枝、綿棒、油性サインペン、粘着紙テープ
[道具]
カッター、物差し

今回のKOSS THE PLUGは黒をビックカメラで購入:2,070
Plug1

スポンジゴムとプラスチックパイプを外す。右用のイヤホーンハウジングの内側をサインペンで黒く塗る。(装着する時直ぐ判る印)
Plug2

リングスリーブ(上)、絶縁キャップ(下)
Plug3

絶縁キャップを肉厚の方から5mmにカッターで切断(長さは耳の形で調整する。)リングスリーブに挿入する。
Plug4

ボンドをイヤホーンハウジング凸部の周りに楊枝を使って少量塗り、リングスリーブを接着する。
Plug5

リングスリーブが固着したら、粘着紙テープでイヤホーンを固定してイヤホーンハウジングの裏側6個の穴を楊枝を使ってボンドで埋める。これで音漏れ防止と低音が出る様になる。
Plug6

ボンドが固まったらスペアーイヤーピースを取付、ゴミが中に入らない様に綿棒の綿をほぐして少量リングスリーブに入れる。これで改造は完了です。(ソニー・スペアーイヤーピースはゴムが柔らかいので外れる危険性も有るのでボンドで接着した方が良いかも知れません。)

Plug7

出来上がったので試しに曲を聴いて見ました。
フランス革命記念日も近いので「ラ・マルセイエーズ1番」http://www.youtube.com/v/uxHaONYgCO0&hl=ja&fs=1

高音が綺麗に鳴るか「タイスの瞑想曲」
http://www.youtube.com/v/_ajCJFgbsFs&hl=ja&fs=1

録音が良くないですが、割と高音も綺麗に鳴ったので後はエージングをして完成です。

2008年7月 2日 (水)

神尾真由子コンサート

629日に神尾真由子・国内リサイタル・ツアー(64日~29日の全16回)最終演奏会場となった、所沢市マーキーホールでの演奏会に行って来ました。(文中の敬称は略させて頂きます。)
昨年のミューザ川崎以来の神尾真由子の2回目の演奏を聴く事になりました。

今回も、いつもの様にクラシックに疎いので、図書館からヴァイオリン・ソナタとカルメン幻想曲はCDを借りて来て曲の感じをつかんで当日に臨みました。
会場はヴァイオリン演奏会には丁度良い中ホール(約800席)で馬蹄形と少し変わった形状をしていました。

神尾は6月で22歳になったばかりですが、気負いの無い自負心の強さを感じさせる立ち振る舞いと演奏に魅了されました。

プログラムも良く考えられた構成で、最後の曲のカルメン幻想曲は「ハイフェッツの超絶的なテクニックを前提」にした曲だそうで、神尾も持てる力をこれでもかと言わんばかりのエネルギッシュ且つダイナミックに演奏して強烈な印象を残してくれました。

アンコールはチャイコフスキーにとって唯一のピアノとヴァイオリンのための作品「なつかしい土地の思い出」の有名な第3曲「メロディー」で締めくくっていました。

プログラム[前半]
ストラヴィンスキー:イタリア組曲
R・シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調・作品18

プログラム[
後半]
シマノフスキー:神話・作品30
ワックスマン:カルメン幻想曲
[アンコール]
チャイコフスキー:メロディー
ピアノ伴奏:ロハン・デ・シルヴァ

演奏会終演後サイン会が有るとの事で、64日発売のデビューアルバムCDPRIMO」の初回生産限定盤を購入しました。
以前TVで神尾のCD制作の映像を放映していましたが、初めての録音で限られた時間の中でプロデューサーと神尾との演奏の折り合いを付けていく様子等を見ました。
完成したCDがどの様に出来上がっているかも大変興味が有ります。

「サイン入りCD」とロハン・デ・シルヴァ「サイン入りプログラム」
Kamio

CD詳細は下記URLでキーワード検索に神尾真由子を入力して神尾真由子のページより見て下さい。http://www.bmgjapan.com/


スケジュールを見ると73日はパリのサル・プレイエルでチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲を演奏する事になっています。

2008年6月23日 (月)

ベーグル

知り合いから自家製ベーグルのお裾分けを貰い美味しかったので、私もベーグル作りに挑戦してみました。

まずベーグルのレシピを検索して、下記URL基本のベーグルレシピで作る事にしました。http://www.cuoca.com/library/event/bagel/

1
回目のベーグル作りは、強力粉に共立食品の「はるゆたかブレンド」、「safインスタント・ドライ・イースト赤55g」パンの色・香り付けに「モラセスライト糖蜜シロップ・マイルド」を使いレシピ通りに作りました。
こねるのは少々疲れましたが15分かけて充分にきめ細かく弾力が出る様に心掛けました。
完成して出来栄えを見る為にベーグルだけを食べて見ましたが、パンに比べて噛み応えも有り、もっちりとした食感と小麦の甘さとこうばしさが噛むほどに出て来て上出来の出来栄えでした。
ベーグルはシンプルな配合なので小麦粉の特徴が即味に反映する事も解りました。

写真の右手前は試しに素材をよじって焼いたのでその表情が出ています。
Baguru1
2回目として、手順に慣れる為に1回目の残りの粉でレシピの比率で材料を揃えてベーグル6個を作りました。
茹でるのに無駄の無い様に、お湯をレシピの半分の1Lにして、モラセスも半分の大さじ1/2にして1個づつ茹でました。
出来上がりは1回目と同じ様に完成しました。

3回目は粉を変えて、日清製粉の「カメリア」を使い作ってみました。「はるゆたかブレンド」に比べて小麦の個性がおとなしく、少しふっくらして、甘さも有り食べ安い味です。
Baguru2

市販品はどんな味か解らないので、食べ比べに「ドンクのベーグル」を購入してみました。「カメリア」より個性が有りますが「はるゆたかブレンド」で作った方が、私は味わい深いと思いました。
Baguru3

もう一つ市販品の「ジュノエスクベーグル」の「プレーン・ベーグル」と10周年記念の「プレミアム・プレーン・ベーグル」(「はるゆたか100%」水は室戸岬沖の「海洋深層水」砂糖は北海道「ビートグラニュー糖」塩は沖縄豊見城「ヨネマース」)を食べて見ましたが「プレニアム・プレーン・ベーグル」は「はるゆたかブレンド」で作った物と味はあまり変わりませんでした。
「プレーン」の方はドンクに近い味です。写真は「プレーン・ベーグル」
Baguru4
作った感想として、ベーグルは割と簡単に出来て自家製の焼きたてを食べるのが一番美味しい事が判りました。是非皆さんも作って見て下さい。次は色々アレンジして楽しみたいと思っています。

ついでに、ユーチューブの貼り付け練習も兼ねて、6月に来日していました二人の歌手を紹介しておきます。(まだ帰国していないかも?)

ヘイリー・ウェステンラ (Hayley Westenra) Amazing Grace


ヤエル・ナイム (Yael Naim) Paris  Mac Book AirCM曲「ニュー・ソウル」で注目されたシンガ・ソング・ライタ

2008年6月19日 (木)

アヤメとお酒

先週末、市内の公園に「アヤメ」を見に行って来ました。
公園の池には250種約3万株の「アヤメ」が植えられているそうです。(新聞記事より)
いずれ「アヤメ」か「カキツバタ」と言う言葉がありますが、此処に植えられているのは「ハナショウブ」の様です。
公園は良く手入れがされていて、咲き終わった花を掃除の人が摘み取っていました。

公園の「ハナショウブ池」全景

Aya01
ハナショウブ
Aya02_2
Aya03

Aya04

Aya05

Aya06

Aya07

Aya08

Aya09

花より団子“団子よりお酒”ではないですが、117日の笠間稲荷神社のブログ記事に書いた、世界的ヴァイオリニスト天満敦子さんのヴァイオリンの音色をイメージした大吟醸酒「天満」に天満さんのサインが入った物を15日に入手しましたので写真を載せました。
天満さんの演奏会スケジュールを見ますと全国を精力的に活動されているのがわかります。
来年(2009年)はデビュー30周年を迎えるそうで、30周年目前のプレミアム・ステージ・シリーズの宣伝が新聞に載っていました。
私は大ヒットした
「望郷のバラード」を聴きながら「天満」の香りと味を楽しもうと思っています。

Sake

「望郷のバラード」を視聴したい方は「 天満敦子 望郷のバラード 」で検索してみて下さい。

2008年6月12日 (木)

アルフレッド・ウォリス

大分以前にTVで印象に残る船の絵を描いた画家を紹介していたのを思い出して、画家の名前と作品を調べてみました。

画家の名前はアルフレッド・ウォリス(1855年~1942年)若い頃は船乗りで、その後イギリスの港町セント・アイヴスで船具商を営み、70歳になってから独学で絵を描き始めた画家です。
70歳から亡くなるまでの約17年間で数千点の作品を残しています。
作品は、帆船や、汽船、灯台、セント・アイヴイスの港、街の情景等をボール紙の切れ端や板に船舶用のペンキや油彩で描いています。
ウォリスを見出したのは1928年、セント・アイヴスを訪れた画家ベン・ニコルソン、クリストファー・ウッドが偶然ウォリスの家の前を通りかかり、壁に掛かった彼の絵を目にした事によります。(横須賀美術館の説明等より引用)

作品を見ると、絵を描く為の決まり事に縛られないで、70歳の老人が自分の見た光景(経験した)を子供の様に天真爛漫に思いのままを画面に描いている作品です。

また、セント・アイヴスは1920年に日本で陶芸を勉強したバーナード・リーチが濱田庄司を伴って帰国して日本式の登窯「リーチ・ポタリー」を開設した所でもあります。濱田庄司は1923年に日本に帰国して1930年栃木県益子町で作陶を始めています。

The Hold House Port Mear Square Island Port Mear Beach 1932
Port
The Blue Ship 1934
Blue

2007年に横須賀美術館で開催されたアルフレッド・ウォリス展の紹介記事
http://www.art-inn.jp/tokushu/000715.html

テート・セント・アイヴス美術館ウォリスの絵(クリックで拡大出来ます。)http://www.tate.org.uk/servlet/ArtistWorks?cgroupid=999999961&artistid=577&page=1

地図(地図画面の「その他」にポインターを合わせ写真やWikipediaにチックを入れると開けます。)http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&geocode=&q=UK+St.+Ives+Cornwall&ie=UTF8&ll=50.212051,-5.480762&spn=0.012551,0.037422&t=h&z=15

セント・アイヴスの写真
http://www.cornwall365.co.uk/cornwall/places,6,St-Ives.html

2008年6月 4日 (水)

マリオ・ジャコメッリの写真

524日にウジェーヌ・アジェーの写真について書きましたが、写真関連で25日放送の新日曜美術館で作家の辺見庸さんがイタリアのアマチュア写真家マリオ・ジャコメッリについて語っていましたので記事にしてみました。
(ジャコメッリ写真展は東京都写真美術館2008315日~56日まで開催されていました。)

マリオ・ジャコメッリ(1925年~2000年)Mario Giacomelli中部イタリアの東海岸のセニガリアに生れ、1950年代から独学で写真を撮り始めます。彼は生涯印刷工房で働き、土曜の午後と日曜日にだけ撮影をする全くのアマチュア写真家でした。

ジャコメッリの作品は、近代写真の父と呼ばれるアジェーの「感情を入れないで被写体自身の一瞬を写実で写し撮る作品」と対照的な「写真技術を駆使して写真の持つ表現力を最大限に生かして自分の内面を深く表現した作品」になっています。
辺見さんの語りも相まって作品の理解と感動を深める事が出来ました。
アジェーもジャコメッリもニューヨーク近代美術館に依って作品は保存され、広く作品が知られる様になっています。

詳しい写真・解説は下記URLで見て下さい。

この人が語る私の愛する写真家「辺見庸 私とマリオ・ジャコメッリ」
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2008/0525/index.html

マリオ・ジャコメッリ展(写真・解説)
http://www.conversation.co.jp/schedule/mario_giacomelli/

セニガリアSenigalliaの地図
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=Senigallia+AN,+%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2&ie=UTF8&cd=1&geocode=0,43.715014,13.218024&ll=43.716682,13.220072&spn=7.255451,20.478516&t=h&z=6

2008年5月24日 (土)

ウジェーヌ・アジェの写真

「ソー公園」の事を検索していましたら、写真家ウジェーヌ・アジェが80年以上前に撮った写真が有るのを知り調べてみました。

写真の前に、「ソー公園」の歴史を振り返ってみます。「ソー公園」は、古く15世紀に遡る荘園を、1670年に宰相コルベールが買い上げ、17世紀フランスを代表する建築家クロード・ペローによって城館が建てられ(その城館は革命期に破壊され現存していません)、庭園はル・ノートルによって起状の多い地形を生かしたフランス式庭園が造営されました。
1700年、ソーの城館と領地はデュ・メーヌ公爵に売却されました。大革命の前夜、ソーはド・パンチエーヴル公爵の所有に変わり、1789年の大革命以降領地は没収され、やがてはある商人に売り払われ、この商人は城館を取り壊して、庭を畑にしてしまいました。
革命後当時のソー市長デグランジュが有志等と庭園を購入、住人の散策地としています。(売り払われる前の一時期と思う?)
ここで行われた野外舞踏会が「ソーの舞踏会」で、バルザックの短篇「ソーの舞踏会」に描かれた舞台となります。(舞踏会は庭園中央に建てられた円形の吹き抜けの建物で、毎週開かれていた様です。)
1856年領地を相続したド・トレヴィーズ公爵が修復に乗り出し、城館は現代のかたちに建直されました。
その後普仏戦争、第一次世界大戦があり、もう一度荒廃の時期を経て1923年セーヌ県の所有となり、1930年代に市営の「ソー公園」として誕生した。
1971年にオー・ド・セーヌ県の所有となり修復も順調に進みました。
現在城館はイル・ド・フランス博物館となっています。

「ソー公園」の公式ホームページは51日の「ソー公園の桜」の記事に載っています。
バルザックの「ソーの舞踏会」については下記URLが参考になります。
「ソーの舞踏会」荒筋
http://www.yamashina-mashiro.com/book2/ques.cgi?no=121&mode=qaview&resmode=on&page=0
「ソーの舞踏会」小論文

http://www.let.osaka-u.ac.jp/france/gallia/texte/31/31kashiwagi.pdf

ジャン=ウジェーヌ・アジェ(
Jean-Eugène Atget 1857-1927年フランスの写真家)は、近代写真の父と呼ばれています。
40歳頃から芸術家に写真を売る生活を始め、41歳のときから30年間に約8000枚の写真を残しています。
特に「ソー公園」を19253月から6月にかけて撮った66枚(No.10-75)の写真はアジェの全生涯の中で最も濃縮・傑出した写真となっています。
写真は廃墟が物語る「ソー公園」の歴史が写し出されています。

写真集の解説によると、アジェの写真は感情による影響が全く処理されていないで、矛盾がそのままになっていて私心や甘えがなく、写真は写真家が見た以上のものは何もない(と我々は確かに感じる)と書いて有りましたが、どうでしょうか!

ウジェーヌ・アジェの詳細はウィキペディアを見てください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A7

ウジェーヌ・アジェの写真を参考に付けました。大きい写真は下記URLで見て下さい。http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b31000892
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b3100088n

ウジェーヌ・アジェ
Atget_2
1910年(庭園は手入れされている様です。)
0106b_r
1923年荒れた城館の入口
0511b_r
1924年荒果てた庭園の入口
0602b_r
19253
0713b_r
19253
0817b_r
1925
1108b_r
19254
1216b_r
19254
1318b_r_2
1925
1410b_r
1925年館
1501b_r
1925年城館に入る門(奥に城館が見える。)
1604b_r
19256